top of page

茶入筆記 vol.7 国司茄子:藤田和野村的對抗,漢作唐物茶入為何價值連城 - Tea Caddy Notes, Karamono Gokushi Nasu.



在『津田宗及茶湯日記』中,似乎提到了宗可在天正元年(1573 年)5 月 18 日舉行的茶道活動:「床なすび此壺伊勢國の國司の也」,翻譯過來就是 「茄子是伊勢國的國司」,而『萬寶全書』也提到「國司茄子伊勢」。


該名稱源於伊勢(三重縣)的北畠氏。 釉面為褐色青白釉,口下茶入兩側似有涓涓細流,有釉溜。 器身形似茄子,底部周圍有一圓形釉池,底釉和罩釉均與殘月相似,口部嚴密,圈足細膩,底部呈現朱泥色,造型十分優美。


自古以來,這件作品就被譽為茄子中的絕品,這絕非偶然。 天正年間(1573-92 年),在伊勢北帛氏之後,由堺的豪商、若狭屋宗可(わかさやそうか)所持,後來到了松花堂(八幡滝本坊昭乗)手中,現由藤田美術館收藏。這件作品在『玩貨名物記』『古今名物類聚』『古名物記』『麟鳳亀龍』『瀬戸陶器濫鯛』『大正名器鑑』,均有記載。


【付属物】

蓋―二仕覆―五、梅鉢金入緞子・モール横筋・花色地唐物緞子・国司間道・萌黄地唐物緞子

仕覆箱―桐白木、書付小堀遠州筆家―藤重作、底藤重造彫銘

堆朱七賢之盆―見込竹林七人の彫り

盆箱 桐白木、書付小堀遠州筆

解袋箱 桐白木、書付小堀宗友筆

解袋白極緞子

添状御約定申一札之事


【伝来】 北畠氏 ― 若狭屋宗可 ― 松花堂昭乗 ― 酒井家 ― 藤田平太郎

【寸法】 高さ:6.0 口径:2.7 胴径:7.0 底径:3.0 重さ:65

【所蔵】藤田美術館



漢作唐物茄子茶入

大名物


『津田宗及茶湯日記』の天正元年(1573)5月18日朝わかさや宗可の茶会に「床なすび此壺伊勢国の国司の也」とあるようで、『万宝全書』にも「国司茄子伊勢」とあります。伊勢(三重県)の国司北畠氏の所有であったことからこの名があります。飴色地釉に青白い釉がむらむらと現われ、口下において茶入の両面になだれがあるようで、裾のあたりに丸い釉溜まりがあります。撫肩の格好のよい茄子形の胴中を沈筋一線(少し判別しにくい所もある)が巡り、漢作で地釉・上釉ともに非常によく残月に似ており、口は締まり玉縁は精作で、裾以下は朱泥色の土をみせ、底は上摺れし、本糸切がとぎれとぎれに現われ、釉色は麗しく、形状もはなはだ優美であります。古来茄子茶人中の絶品と称されたのも決して偶然ではないようです。伊勢国司北帛氏ののち、天正(1573-92)の頃わかさや宗可に伝わり、のち松花堂(八幡滝本坊昭乗)の有となり、維新後大阪の道具商勝兵衛(通称道勝)に渡り、1871年(明治四)頃金二千両で若狭藩主酒井忠禄に買い取られその後同家に伝来。現在は藤田美術館蔵。(『玩貨名物記』『古今名物類聚』『古名物記』『麟鳳亀龍』『瀬戸陶器濫鯛』『大正名器鑑』)


茄子というのは、茄子に似た形をいい、伊勢・わたの国司北畠氏が所持したのでこの名があります。堺の若狭屋宗可に伝わり、やがて松花堂昭乗に渡り八幡名物の筆頭とされ、天下第一と賞賛されていました。酒井家売立の際、現所蔵者の先代である藤田男爵と野村得庵の双方がこれを所望して「やらず値の札」を入れて譲らず、最後に大谷尊由の仲介によりクジ引きとなって、藤田家の所蔵となった話題の茶入です。また緞子最古の白極の仕覆は、解袋として解体して丁重に保存されています。五つの仕覆の中で国司間道といわれる一種も、古く珍しいものです。茶入はやや尻膨の理想的な茄子形で、容姿・品格ともに同類中の傑作です。ときぶくろ総体に黒飴釉が艶高くかかり、その上に青白い釉が口縁から両面に流れて景色をなしています。裾以下は朱泥土が露われ、底に糸切がみられます。『津田宗及茶湯日記』『万宝全書』『玩貨名物記』『古今名物類聚』 『麟鳳亀龍』などに記載。


藤田美術館特別策劃:

古美術入門50選之vol.10 国司茄子茶入


―こちらも茶入ですね。※第9回参照国司茄子茶入です。

 

―銘はないのですか?

銘〇〇という形ではありませんが、「国司」が銘に相当します。複数ある茄子茶入の内、国司茄子と呼ばれるのは、この作品のみです。

 

―茄子というのは、形状ですね?そうですね。丸茄子を連想させる形です。茶入は茄子の他、文林や丸壺、肩衝などがありますが、最も重要なものが茄子茶入でした。

 

―大きさはどのくらいですか?高さが5.9㎝、胴の横幅が6.3㎝。蓋の載っている口の直径は2.8㎝です。手の中におさまるぐらいのサイズです。

 

―これは日本で作られたものですか?中国で作られた唐物茶入です。

 

―中国からいつ来たのですか?鎌倉時代(13世紀)以降、室町時代初め頃(14世紀)には日本にもたらされたと考えられます。

 

―蓋も中国から来たものですか?おそらく違うと思われます。象牙でできた蓋(牙蓋 げぶた)は、日本で茶入として使用する場合に使うので、日本で作られたものだと思います。

 

―これも焼物ですか?はい。泥のようにねっとりした、粒子の細かい土を使っています。薄くてとても軽いものです。

 

―名前の国司というのはどういう意味ですか?国司は役職の名称です。日本の各国を収める長官です。茶会記に「此の壷伊勢の国司」の表記があり(1573年)、伊勢国の国司を務めていた北畠氏に由来すると考えられています。北畠氏は14世紀以降に伊勢の国司となりました。最後は養子に入った織田信雄(のぶかつ 信長の子)です。14世紀~16世紀の間のどこかで、北畠氏が所有していた茶入と思われます。

 

―その後は誰が持っていたのですか?堺の豪商、若狭屋宗可(わかさやそうか)が所持していました。その後、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう 1582~1639)が持っていました。松花堂昭乗は石清水八幡宮瀧本坊の社僧で、江戸時代初期を代表する文化人です。小堀遠州、大徳寺の江月宗玩(こうげつそうがん)などとの交流が知られています。茶入は幕末に瀧本坊から出て、道具商へ。1871年(明治4年)に若狭酒井家へ収まりました。

 

―藤田家にはいつ入ったのですか?1923年(大正12年)です。東京美術倶楽部で行われた若狭酒井家の売り立てで、野村財閥を築いた野村徳七と競り合いとなりましたが、決着がつかないためくじ引きとなり、藤田平太郎が20万円で落札しました。


国司茄子茶入 仕服

 

―この茶入にもいろいろな付属品がありますね。牙蓋1枚、盆1枚、仕服5つがついています。


国司茄子茶入 盆

 

―盆に模様があります。竹林七賢(ちくりんしちけん)の盆と言われています。竹林七賢とは、3世紀ごろ中国に実在した7人の賢者のことで、世俗とはかかわらず、竹林に集い、清談(世俗を離れた風流な議論)を行ったと伝えられています。松花堂昭乗の茶会記にも出てくるため、江戸時代最初にはこの茶入とセットで使われたことがわかります。


国司茄子茶入 旧仕服 白極緞子

 

―板に挟まれたものは何ですか?これが5つ目の仕服です。かつて仕服だった布で、保存のため、板に挟んだ状態で伝わっています。白極緞子(はくぎょんどんす)という裂で、14世紀ごろまでに中国より伝わった貴重な裂です。こちらも松花堂昭乗が開いた茶会に使われたことが、茶会記から分かります。2つ折りの表側の文字は遠州流宗家7世、小堀宗友(1742~1803)、内側の文字は小堀政安(1815~1876)です。茶入の牙蓋、仕服、盆と様々な付属品があり、中国など海外より渡来したものを使っていますが、いずれも日本で仕立てられ、組み合わされました。

 

―この茶入の見どころは?唐物茶入は数が少なく、存在自体が貴重です。丸みを帯びた形が優雅で、バランスもよく、とても愛らしい茶入です。手に取ると、びっくりするほど薄くて軽い焼き物です。小さいのに大きく見える、内側から力が出るような緊張感があり、明るい朱漆の盆に載せると、一層華やかです。 


今回の作品: 国司茄子茶入(こくしなすちゃいれ)

時代 宋~元時代 13~14世紀    


伊勢の国司北畠家が所持し、茄子に似た形であることから「国司茄子」と呼ばれます。全体に掛けられた濃い飴釉に一筋の釉なだれがあり、見どころとなっています。江戸時代初期には、石清水八幡宮瀧本坊の社僧、松花堂昭乗が所持していたことでも知られています。        

延伸閱讀:








上一期茶入:新田肩衝


Comments


bottom of page