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宋代筆記 vol.73 傳世唐物大茶壺:安國寺茶壺 德川美術館所藏 - Heriloom Tea Jar, Karamono Ankokuji Chatsuba, Tokugawa Art Museum.



唐物茶壺  銘 安国寺

からものちゃつぼ めい あんこくじ


茶壺是用來儲存和運送葉茶的容器,直到利休時代,茶壺都被視為最高等級的茶具,也是賞玩的對象。


本壺施以飴釉,從壺身到底部以及下擺周圍呈現寬廣的褐色。 它有四個耳朵,底部有不知名的文字和花印。 銘文極有可能與戰國時代的禅僧・安国寺恵瓊(えけい/生年未詳~1600)有關,但由於稱為安國寺的寺院散佈在全國各地,因此無法確定。



安國寺恵瓊 (Ankokuji Ekei) 是戰國時代至安土桃山時代的臨濟派禪宗武士兼外交僧人。 他的道號 瑶甫、法諱(諱)恵瓊,号一任斎、正慶。 廣為人知的名字安國寺克瓊是由他所居住的寺廟名稱所衍生出來的,而他身為禪僧的名字則是瑶甫恵瓊。


安国寺恵瓊/六平直政 毛利軍の清水宗治に仕える僧侶。 #北野武 監督最新作


一般認為他是服務於毛利氏的外交僧侶,並擔任與豐臣(羽柴)秀吉談判的聯絡人,在豐臣當政期間,他也被秀吉授予行政爵位,並晉升為藩主,不過也有其他的說法。


茶壺は葉茶の貯蔵・運搬に用いられる容器であり、利休時代までは茶道具の最上位の道具として尊ばれ、賞玩の対象であった。飴釉(あめゆう)が柚肌(ゆずはだ)状に掛かり、胴より下部、裾廻りにかけて広く土見せを残している。耳は四個付けられており、底部に不明の文字と花押がある。銘は戦国時代の禅僧・安国寺恵瓊(えけい/生年未詳~1600)に因んだ可能性が高いが、安国寺と称した寺院も全国各地に散在するため断定はできない。



安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗の僧で、武将および外交僧。道号(字)は瑶甫、法諱(諱)は恵瓊、号は一任斎または正慶。一般に広く知られる安国寺恵瓊の名は、住持した寺の名に由来する別名であり、禅僧としての名乗りは瑶甫 恵瓊(ようほ えけい)という。


毛利氏に仕える外交僧として豊臣(羽柴)秀吉との交渉窓口となり、豊臣政権においては秀吉からも知行を貰って大名に取り立てられたとするのが通説だが、異説もある(後述)


京都市東山区の建仁寺境内の安国寺恵瓊の首塚


其他著名茶壺:


  1. 松花、金花 德川美術館


唐物茶壺 銘 金花・松花 からものちゃつぼ めい きんか・しょうか


『信長公記』には、天正4年(1576)秋の安土城完成の折、「せうか【松花】きんくわ【金花】の壺とて隠れなき名物参り御機嫌斜ならず」と記され、これら二つの茶壺を前に信長が大いに喜んだ様子が語られています。「金花」は、唐物茶壺の中でも他に類例のない美しい黄金色の釉が特徴的です。松花は重要文化財。


2. 通圓 MIHO


3. 華山 (利休在判)和歌山県立博物館/東照宮



徳川将軍家からの拝領品として紀州徳川家に伝来したものを、明治4年(1871)5月に徳川茂承により東照宮に寄進されたものです。これらの茶壺は総高40cm前後で、壺の肩に耳を四つ付け、胴上がりに波状文を施したルソンなどの東南アジアを介して日本にもたらされたいわゆる呂宋(ルソン)壺と呼ばれる中国南部製の唐物茶壺です。それぞれに「華山」「楊柳」「小面」「佐藤」という銘があり、利休の花押のあるものや豊臣秀吉旧蔵品など、由緒正しい名物茶壺です。


4. 蓮華王 福岡市美術館



5.


唐物茶壺 銘 橋姫からものちゃつぼ めい はしひめ


徳川綱吉(5代将軍)下賜・徳川綱誠(尾張家3代)拝領この茶壺は貞享3年(1686)10月21日、江戸城二之丸で行われた観能に尾張家3代綱誠が招かれた際、5代将軍綱吉から拝領した品です。茶壺は葉茶の貯蔵・運搬に用いられる容器であり、利休時代までは茶道具の最上位として尊ばれ、賞翫の対象でした。


【中国・元~明時代 14~15世紀 大名物】



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