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宋代筆記 vol.74 德川家康的宋代傳世灰被天目茶碗 - Song Notes, Tokugawa Ieyesu’s Haikatsugi Tenmoku Tea Bowl.



德川家康所持,原為堺的油屋常祐所有。傳承之顯赫,由於曾為德川家康所藏,因此被歸為大名物也是理所當然。歸為灰被天目,是因為其傳世的過程中的被定性的名字。實際上,這類天目茶碗現在被歸為“柿天目”,但是目前對這類器物的認知十分有限。


柿天目大概是窯溫十分高,含鐵量釋出較高的一種意外而成的作品,隨後被宋人珍惜,並傳承到日本。柿天目在德川的形容中的美麗詞藻令人心醉:銀砂、鐵氣泥、墨色花紋、嵐皮色、飛雲。


It was held by Tokugawa Ieyasu and was originally owned by Tsuneyasu Aburaya of Sakai. It has a remarkable legacy, and because it was once in the possession of Tokugawa Ieyasu, it is only natural that it should be classified as a daimyo (great-name) object. It is classified as a grey-coloured haikatsugi tenmoku because of the name it was given in the course of its provenance. In fact, this type of tea bowl is now classified as a "kaki teamei," however, aesthetic appreciation is lacking behind.


Such tenomku is probably an accidental product of very high kiln temperatures that released high iron content, and was subsequently treasured by the Song Dynasty people and passed on to Japan. This haikatsugi tenmoku is described by Tokugawa in mesmerisingly beautiful terms: silver sand, iron-gas clay, ink patterns, arashi skin colour, and flying clouds.



大名物徳川美術館高さ:6.7~7.1cm口径:13.2~13.3cm高台外径:4.2cm 同高さ:0.6cm


大名物。 中國茶碗,灰被天目。 原為堺的油屋常祐所有,後傳至尾張家。 內壁有如飛雲般花紋,在梨皮色的美麗光澤中帶有砂紙花紋狀的銀斑。 外壁在口周前五分的顏色樸素,俗稱“澀口” 或 “涉口”,往下到露胎邊緣是與內壁相同的嵐皮色,並有美麗的銀砂,陶土邊緣的釉池很厚,裡面有特別細緻的黑灰色、墨色花紋。 底是鐵氣泥,圈足規整。 目前由徳川黎明会所蔵。


有幾種茶碗被稱為「灰被天目」。 它們並非都以相同的方式上釉,而是將幾種不同類型的上釉碗統稱為「灰被天目」。 過去的人對於何謂灰被並沒有一個明確的定義,所以他們把所有不屬於曜変・油滴・兎毫盞,或者從某種意義上說,不符合這些類別的茶碗,都稱為灰被。


它其實不是由於灰落在茶杯上,而是由於生燒,導致釉色變灰,或是由於燒成不均,導致窯內的變化,例如窯変。 因此,各個茶碗的狀況不同,無法認出共用的特性。


這件茶碗是這類覆灰碗中特別特殊的一件。也有人認為這件茶碗應該稱為柿天目而不是灰被。 這是因為它的釉色非常接近於河南天目中的柿子釉。但無論如何,這是歷史留下來的名字。


這種釉色是因為這件碗的釉下含鐵量特別高,在這方面可以說是與黄天目完全相反。用放大鏡看釉面,可以清楚地看到柿子色的釉不是遍布的,而是由細細的柿子色條紋組成的,也就是密密麻麻的流鐵砂的線條,形成了這種釉色調。


This glaze colour is due to the exceptionally high iron content under the glaze of this bowl, which in this respect can be said to be the complete opposite of yellow tianmu. Looking at the glaze with a magnifying glass, one can clearly see that the persimmon-coloured glaze is not spread all over, but consists of fine persimmon-coloured streaks, that is, densely packed lines of flowing iron sand, which form this glaze tone.



除此之外,釉面上還散佈著黑色的小點,像沙點一樣閃閃發光,看起來像是結晶的鐵。 在高溫燒成時,鐵會溶解在釉中,但當火候降低時,鐵就會結晶成這些小點,流下來呈現柿子色的條紋。


在一般的兔毫盅中,鐵的含量沒有那麼高,所以柿子色的條紋在黑色玻璃釉的映襯下會顯得兔毫盅很漂亮,但在這種情況下,兔毫是粘在一起的,看起來就像是上了柿子色的釉。這種釉色對於建窑天目一定是很不尋常的。


In addition to this, the glaze is streaked with small black dots that glisten like sand dots and look like crystallised iron. During high-temperature firing, the iron will dissolve in the glaze, but when the fire is lowered, the iron will crystallise into these dots and flow down to appear as persimmon-coloured streaks.


In ordinary rabbit-hair cups, the iron content is not so high, so the persimmon-coloured streaks appear beautiful against the black glass glaze, but in this case the rabbit hairs are stuck together, making it look as if they have been glazed with persimmon-coloured glaze. This glaze colour must have been very unusual for Tenmoku.



這件碗的釉色很可能不是一開始就有意識地創造出來的,只是偶然發現這件碗的釉色含鐵量很高。 即使如此,杯底和杯中央的釉池裡還是有很多玻璃釉,柿子色的條紋也順著杯流下來。如圖所示,杯的內外壁的顏色特別深,尤其是杯沿與距口 2 厘米之間。


如果仔細觀察,可以發現它和下面的柿子色條紋沒有什麼不同,只是因為鐵流線的緣故顏色較深。 這個區域是器物最暴露的部分,所以釉層才會這麼薄。


It is likely that the glaze colour of this bowl was not consciously created from the outset, but was simply discovered by chance to have a high iron content. Even so, there is a lot of vitreous enamel in the glaze pools at the base and in the centre of the bowl, and the persimmon coloured streaks run down the bowl. As shown in the picture, the colour of the inside and outside of the cup is particularly dark, especially between the rim and 2 cm from the mouth.


If one looks closely, one can see that it is no different from the persimmon-coloured streaks below, except that the colour is darker because of the iron flow. This area is the most exposed part of the vessel, which is why the glaze is so thin.



這可能與下面的黏土有因果關係。 也許是老一輩的人看到這種燒焦的顏色,就把它放到灰被中。 無論如何,這是一件非常不尋常的建盞。



大名物。中国茶碗、灰被天目。


もと堺の油屋常祐所持、のち尾張家に相伝した。砂張の覆輪、内部見込に飛雲のような青色模様があり、梨皮色の光沢の美しい中に総体に銀砂子模様がある。外部は口まわり五分ばかりが渋色で、それから以下土際までは内部同様梨皮色で銀砂が麗しく、土際の釉溜まりは厚く、その中に黒ずんだ灰色で墨を流したような模様があるのが格別見事である。高台は鉄気土で、その縁が蛇の目形をし、無で極めて結構な天目である。現在は徳川黎明会所蔵。(『玩貨名物記』『古今名物類聚』『大正名器鑑』)


灰被天目と呼ばれている茶碗には、幾つかの手があります。兎毫盞などのように、一様の釉調でそろっているものではなく、何種類かの違った釉だちのものをひとまとめに灰被と呼んだらしいです。昔の人は大まかで細かな概念規定をしませんでしたから、曜変・油滴・兎毫盞のいずれにも入らない異調のもの、ある意味で不あがりのものはひっくるめて灰被と呼んだらしいです。


実際に灰が降りかかってできたわけではなく、生焼けで釉が灰色がかったり火がむらで片身替わりのような窯変を起こしたものなのです。だから、茶碗によって一つ一つ状態が違い、通有の性格というものは認められません。この茶碗は、そういった灰被の中でも特に変わった存在だと思います。


私はこの茶碗は、灰被というより、むしろ柿天目と呼ぶべきではないかと思います。定窯や、河南天目の中に見られるあの柿釉と、すこぶる近い釉調を見せているからです。このような釉色になったのは、この茶碗のキマチ(来待)ふうの下釉が並みはずれて鉄分が多かったためで、その点、黄天目とは、正反対のものといえましょう。釉面をルーペでのぞきますと、柿色の釉がべたに広がっているわけではなく細い柿色の筋、つまり鉄砂の流下線が密に並んで、この釉調を成していることがよくわかります。


それJこは別に、釉の膚一面に、砂子のようにきらきら光る小黒点が散っていますが、これが鉄分の結晶したものらしいです。高火度焼成中には、鉄分は釉中に溶けこんでいるがやがて火が落ちると結晶してこういう小点になり、それが流下して柿色の筋めとなって表われるのです。普通の兎毫盞の場合は、鉄分がこれほど多くないため、柿色の筋は、黒いガラス釉をバックにあの美しい兎毫盞を見せるのですが、ここでは兎毫盞兎毫盞接着して、あたかも柿色の釉であるかのように見えるわけです。おそらく建窯の天目では、こういう釉調は、きわめて異例のことだったに違いありません。


どうも初めから意識して作ったのではなく、偶然にこの茶碗の釉だけが、鉄分が多かったということではないでしょうか。それでも裾の釉だまりや、見込み中央のあたりでは、ガラス釉がたっぶりとしていて、柿色の筋が兎毫盞に流れています。図版でもわかるように内外面とも、口縁部から2cmばかりの間は、特に色めが濃いです。


よく見ますと、別に下の柿色の筋と変わりがあるわけではなく、やはり鉄分の流下線で、ただ色が濃いというだけなのです。この部分は、最も切り立ったところで、それだけに釉層が薄い、そんな関係で、こういう濃い色になざのでしょうか。下の素地との因果があるのかもしれません。おそらく昔の人は、この焦げたような色合いを見て、これを灰被の中へ入れてしまったのでしょう。いずれにしても、はなはだ珍しい建豊です。砂張り覆輪。もと堺の油屋常(浄)祐の所持にして、尾張徳川家に伝わったものです。(佐藤雅彦)


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