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茶人筆記 vol.4 伊達政宗 x 秋葉灰被天目茶碗 : 師從利休、織部、遠州,仙台藩62萬石大名的茶之湯 - Date Masamune, Tea as a way of War and Peace.



伊達政宗

Date Masamune

永禄十年至宽永十三年(1567-1636) 


战国时期霸主,仙台六十二万石藩祖。幼名梵天丸,俗称藤次郎。政宗幼时罹患疱疮(即天花),失去右眼的视力,以此逃过劫数,因而后世称之为「奧州獨眼龍」(仿自唐朝名將李克用)


天正十八年,秀吉发动「小田原之役」,伊達政宗因延迟发兵,被秀吉拒绝觐见,于是拜托前田利家千利休从中斡旋,秀吉最终认可了他的才干,允许了他的拜谒。


He was a daimyo during the Warring States period and the ancestor of Sendai's 620,000-stone clan. His childhood name was Brahma Maru, commonly known as Fujijiro. When Masamune was a child, he suffered from herpes (smallpox) and lost the sight in his right eye, thus escaping the fate of his death, which led to his being called the "One-Eyed Dragon of Oshu" (modelled on the famous Tang Dynasty general Li Keyun).


In the 18th year of Tensho, Hideyoshi launched the "Battle of Odawara", and Date Masamune was refused an audience by Hideyoshi because of the delay in the dispatch of his troops, so he asked Maeda Rikiya to ask Sen no Rikyu to intercede with him, and Hideyoshi eventually recognised his talent and allowed him to pay a visit.


▲ 政宗賦有诗「醉餘口號」:馬上少年過,世平白髮多;殘軀天所赦,不樂是如何。


他曾向利休、織部学习茶道,織部逝后,又得到了遠州的指导。据《三斎公伝書》记载,政宗曾向細川三齋利休七哲之一)询问服饰色彩和二重切花筒的搭配问题。


伊達政宗与徳川将军家交往甚密,时常进献名物。此外,政宗还以五百石的待遇聘请織部的弟子清水道閑(石州流清水派初代目)担任茶头一职⋯


He learnt the tea ceremony from Rikyu and Oribe, and after Oribe's death, he was instructed by Enshu. According to the Sansai Kōdenshu (三斎公伝書), Masamune once asked Hosokawa Mitsusai (one of the Rikyu Shichitetsu) about the colour of his clothes and the matching of his dichotomous cut flower tubes.


Date Masamune had a close relationship with the Tokugawa shogun's family, and often offered famous objects. In addition, Masamune hired Shimizu Michizuri, a disciple of Oribe (the first head of the Shimizu sect of the Ishinshu school), as a tea master at a cost of 500 stones.


伊达政宗的茶碗


灰被天目茶碗 銘「秋葉」 南宋 - 元,伊達政宗所持,一碗幽蓝,胎釉结合处环绕一抹淡赭色如秋天飘零之落叶,武将的侘之名碗 -「古今名物類聚」、「大正名器鑑」收录,MOA美術館 藏 / 傳承:伊達政宗 - 加藤正義 - MOA美術館


中国・南宋時代

1916年(大正五)同家の売立の際七千八百八十円で落札。


此器呈柔和的十目形,口沿微凹,略向外躬。 器身为厚重的轮铸,从腰部至底部呈弧形,底部周围有茶洋窑典型的切割铲。


底座的榻榻米上放置一个斜面铲子,底座雕刻成弧形表面,底座内侧涂有朱漆斑点。 这种灰被天目碗的造型与建盏(宋代福建建窑烧造的一种天眼形碗)相似,但底部的圆形台阶和浅圆底是建盏所没有的灰被天目的特征。


这只茶碗的上部施有双层釉,一层黑色釉滴在碗底周围,一层厚厚的黄色釉出现在陶土边缘。 釉色略呈棕黑色,局部泛出暗淡的银光,给人一种侘寂的感觉。



器形は穏やかな天目形で、口縁部を若干くびらせ、わずかに外反りにしている。胴部には太い轆轤(ろくろ)目がめぐり、腰から高台にかけてはゆったりと湾曲しており、高台回りは切り箆(べら)を立てている。


高台の畳付(たたみつき)に面取り箆を入れ、高台を曲面に削り出し、高台内に朱漆が一点付されている。灰被天目の形態は建盞(けんさん)(宋時代に福建省建窯で焼かれた天目形茶碗)に似ているが、高台際の切り回しの段や、浅く丸く削り出された高台は、建盞に見られない灰被天目の特色である。



灰被とは、灰をかぶったような釉の趣きからつけられた呼称で、この茶碗は、上釉は二重がけで、裾回りに一ヵ所黒釉のなだれがあって景色となり、土際に厚く黄釉が現れている。釉調は、少し褐色みのある黒色で、ところどころに鈍い銀色の光芒が現れ、いかにも侘びた趣きとなっている。


伊達政宗所持。『古今名物類聚』『大正名器鑑』所載。


▲ 灰被天目茶碗 南宋 - 元 / 传承仙台伊達家 - 河村伝兵衛 - 岩崎弥之助 - 靜嘉堂文庫美術館 藏


▲ 肩衝茶入 銘「堪忍」,名物 / 传承伊達政宗 - 仙台伊達家 - 香雪美術館 藏


名物。


唐物、肩衝茶入。


異色な銘でありますが、その姿、感じがいかにも重厚円満で、よく物に堪え忍んでいるようなのでこの銘があるのでしょう。


『古今名物類聚』はこれを唐物の部に入れていますが、むしろすべての点て古瀬戸に近いといわれます。


作行は大寂びでどっしりとして貫録があり、全体に丸みをもった沈着な姿の茶入であります。


伊達政宗が所持し久しく同家に伝来、1916年(大正五)5月同家蔵器売立の際に大阪村山家に入りました。

伝来は、伊達政宗~村山家~香雪美術館。仕覆は、毛織、大蔵切、藤言切、木下切。蓋五枚。挽家、鉄刀木。箱、桐白木。添盆、若狭盆。古今名物類聚に唐物とあるが、唐物にしては重く、糸切も唐物では見受けない右糸切で、土や釉も古瀬戸に近いため、古瀬戸であろうと考えられている。


伊達政宗 騎馬銅像,仙台城(青葉城),以「獨眼龍」为人所知的伊達政宗之所以没有戴眼罩,是由于他的遗言交代「在我死后所制作的绘画等作品中,我都希望拥有双眼」


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